サンプル『ファーム』レビュー

 ある一組の夫婦が離婚の協議をする場面から始まる。離婚の原因は主に2つで、夫が息子の誕生以降仕事である研究に没頭し数年間まともな連絡をしなかったということへの不満、そして妻が浮気をせずに結婚したいと思う人を見つけたということだった。この夫婦には、不妊治療そして遺伝子操作によって生まれた息子がおり、彼は遺伝子操作によって得た能力によって生物のある一部を体に植え付け再生させる「ファーム」という仕事を父と共に行っている。また、妻が結婚したいと思っている相手はカルトまがいの宗教(?)にはまっており、ゾーントレーナーという女性の元に毎週通い診察を受けている。
 『ファーム』は今までサンプルが(私が観た限り)別々に扱っていたカルト的な信仰と、生命医学や再生医療といった先端医療を両方混ぜあわせた作品になっている。そしてこの2つが混ぜ合わさった結果何が倫理的に正しいのか、どちらもおかしいとしてどちらの方がマシであるのかという判断がつかない疑問を投げかける。今からこの作品で出てくるいくつかのトピックを挙げていく。

 まず、1つ目は遺伝子操作による子どもの誕生である。現在、自分の唾液を使って調査を行うとどういう疾患になりやすいかなどを調べるサービスが出てきている。そして、この検査と他の産業が結びつくとかなり危ういのではないかということが懸念として言われている。例えば、保険と結びつくとそもそもガンのリスクが高い人はガン保険が組みにくくなるのでは?と言った疑問が出ている。しかし、今懸念されているようなことは実は序の口で本当はこの作品によって描かれていることのほうが余程問題なのではないだろうか。つまり、お互いの遺伝子レベルでの利点、問題点がわかるとその組み合わせによってどういった問題を抱えた子どもが生まれるかが確率レベルでわかってしまう日が来るだろう。そこで、子どもを産まないという選択を取った場合、これは許されるのだろうか?また更に進歩してその問題を取り除くようなことが子どもが生まれる前に施せるようなことができるようになったら、これは許されるのだろうか?では、その遺伝子操作が失敗し思ったような子どもが出来なかった場合、手放すということは許されるのだろうか?
 2つ目はカルト的な信仰である。世の中にはプラシーボ効果というものあれば、考え方なんて何かあれば変わってしまう可能性すらある。科学的には何も根拠がないことであっても、本人が喜んでさえいれば、また本人に効果があったと考えられさえすれば許されることなのだろうか?
 3つ目は整形という問題。今は女性が自らの容姿をよりよくしたいと考え、顔や体にメスを入れることが多くあるが、実は男だって結構な人数整形しているのではないのだろうか?ということをこの作品で気付かされる。

 では、遺伝子を操作することはダメでも自分の体を変更するということは許されるのだろうか?先に上げた3つの問題について、現在では馴染みがあるから整形は許されるけれど、遺伝子操作は許されないとか、カルト的な信仰は暴走する危険があるからとか意見がでるかもしれない。でも害のないカルトだったらいいのか?とか、みんながやるようになったら遺伝子操作だって許されるのか?などすぐに正解は出せない。
 だが、こういったことはなるべく早く考える必要がある。なぜなら、科学は基本的には研究の発展や新たな発見を求めて競争をしており、その競争に対して倫理というのは基本的には抑止力にならないと言われている。なぜなら既存の問題に対してさえどれだけやったところで倫理観は統一できないからだ。こういった場合に抑止力となるのは法律なのだが、残念ながら法律というものは起きていない問題については作ることが難しい。となると結局のところ、完全なるストッパーにはならなかったとしても、こうすることはよくないという空気を作っていく他なくなるのである。

 そんな空気作りや問題点の検討ということにおいて、小説なり演劇なりフィクションの力は大きい。良き作品であればあるほど作り手の想像力を土台にして議論を展開することが可能になるからだ。今作『ファーム』も上記の3点をフラットに並べることでこちらの倫理観を炙りだす良作であることは間違いない。その作品を支えているのは、現実にいるかいないか絶妙なラインの狂った登場人物たちである。そして、それらは劇団サンプルが採取した人間の「サンプル」であり、演劇という「ごっこ遊び」によって生み出されたものだ。そういった意味で、この作品はサンプルの総決算なのかもしれない。またまた、ただの通過点でしかないのかもしれない。どちらであったとしても、この作品が恐るべき作品であることには変わりはなく、今後も見続けなくてはならないと思わせるのに十分なのである。