ジェームズ・ガン監督『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』レビュー

 薄々みんなが気づいていたことが白日の下に晒されてしまった。「シリアスなヒーロー作品はもう終わりだ」ということだ。
 2008年、クリストファー・ノーランが『ダークナイト』で生み出したヒーロー像は画期的だった。主人公のバットマンは自らが正義であると思っている悪を倒すという行動によって、逆に悪が次々と発生するというジレンマに巻き込まれ、自らの使命とその影響力の間で引き裂かれ悩んでいく。この内面を描いた作風は斬新で、『ダークナイト』以後のヒーロー作品は主人公の内的葛藤の解決がメインに置かれるようになっていった。
 この傾向に疑問を投げかけたのは2012年の『アヴェンジャーズ』だろう。スーパーヒーローが勢揃いしたこの作品では、各キャラの内面はほぼ描かれることがないが、それぞれが協力し全力で暴れるだけでカタルシスを生み出している。ただ、この作品が「シリアスなヒーロー」という傾向を終わりに出来なかった理由ははっきりしている。それは単体でも映画に出来るスーパーヒーローが集まったからこそ出来た作品だからである。
 それと比べると、『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』はアメリカ国内でもそれほど有名でない作品で、スター級の有名な俳優が出ているわけでもない。にも関わらず、群像劇、宇宙、音楽、コメディ、アクション、キャラクターの全てにアイデアを盛り込むことでヒーロー作品が本来持っていた高揚感を再現することに成功している。特に効果的なのは音楽だろう。新しい惑星に到着し探検するときの高揚感をウォークマンから流れる曲一発で表したオープニングはヒーロー作品に超人的な能力な能力やシリアスさが必須ではないことを証明した瞬間だろう。本当に観たかったのはアイデアに溢れたこんな楽しい映画だったということが思い出されてしまった今、アイデアなき安易なシリアスな作品は淘汰されていくだろう。