PIZZICATO ONE『わたくしの二十世紀』レビュー

 小西康陽の一人ユニットであるPIZZICATO ONEの2ndアルバム『わたくしの二十世紀』は小西自らが作曲した楽曲のセルフカバーアルバムである。と聞くと、ピチカート・ファイヴ時代のあんな曲やこんな曲が入っているのか!?という期待が高まるものだが、そんな期待をそっと避けるかのように小西がプロデュースをした野本かりあの「私が死んでも」からアルバムは始まる。だが、そんな「私が死んでも」がアレンジ含めて素晴らしい仕上がりになっていることで、このアルバムに傑作としての雰囲気を与えている。
 野本かりあ版の「私が死んでも」は、ドラムロールの音感などがピチカート・ファイヴ風なアレンジとなっており歌詞に注目が集まるような作りにはなっていないが、ノンベース、ノンビートの弾き語り風の、BPMを抑えたアレンジに変わったことにより、「歌詞・メロディ・アレンジ」のうちの「歌詞とメロディ」に注目しやすい作りに変わっている。それにより浮かび上がってくるのは、素晴らしいメロディであり、素晴らしい歌詞であり、そしてこんな素晴らしい曲がなぜか埋もれてしまっていたというシンプルな驚きである。「私が死んでも」の歌詞はこう始まる。

私が死んでも 泣いたりしないで なんにも言わずに 私を忘れて 悲しいことなんて なんにもないじゃない 明日も世界は 変わらないのだし みんなみんな いつかは さよならするのだし みんなみんな いつか死ぬの

 パッと読んで分かる通り、難しい言葉は使っていない。シンプルな言葉の連なりで事実を書き出しているだけにも関わらず心に響く。そういった歌詞であることが弾き語りことによって立ち上がってくる。少しアルバムからは逸れるが、この「私が死んでも」は、KUNIO12『TATAMI』という演劇の公演の重要な場面で使われている。舞台上では男性俳優によって歌われるが、シンプルな言葉であるが故に観客にも届き、心に響くが故に極めて重要な場面を任せられる楽曲であり、そして誰もが歌えるスタンダードナンバーであると再認識した場面だった。こうした言葉が小西の作った曲には山ほどあることが、新たなアレンジによって掘り起こされているところがこのアルバムの魅力の一つである。

小西 やっぱりたくさん作ってくると愛着がある曲もあって、なおかつ、自分が愛着を抱いてるほどには人に知られてない曲もあって。そういうものを折に触れてまとめて誰かに聴かせたいという気持ちがあるんですよ。今までいろんなかたちでやってきたんですけど、今回は、まずは自分のために作ったレコードだと言えます。自分が家で聴きたいレコードって何枚もあるんですけど、そのなかでも一番聴きたいレコードの、その一枚に加えたくて作った。だから、こういう言い方は僭越なんですけど、本当に誰よりも自分のために作ったレコードなんです。※1

  とはいえ、このアルバムが楽曲の良さを掘り起こしているだけのアルバムでないことは各歌い手のチョイスからも伺える。例えば、一曲だけ参加しているYOUの「戦争は終わった」は、YOUの歌唱を活かしたアレンジとなっている。ピチカート・ファイヴのバージョンではどちらかと言えば歌い上げるようになっていたサビの「戦争はどうしてなくならないのかな」というフレーズが、YOUの持ついい意味での軽さが出る歌い方になっている。このアレンジにより日常的に聴きやすいにも関わらず、さらっと凄いことを歌っている曲へと生まれ変わっている。曲と歌い手の組み合わせも作りこまれており、単にカバーしているだけでないことが十二分に伝わってくる。
 こうしたアレンジに関するアイデアはアルバム中にたくさん詰まっている。だがそうした一つ一つの楽曲が集まったことにより、小西の狙い通り誰もが家でのふとした瞬間に流すことのできる作品となっていることが一番の魅力なのだろう。

※1:http://www.universal-music.co.jp/pizzicato1/news/interview/より